東廻り(アガリマァ~イ)

HANA-LUANA

2013年09月20日 14:05

友人達から東廻り(アガリマァーイ)に誘われた
恥ずかしながら、琉球の歴史に疎い私にとって
アガイマァーイって何???

東廻りとは
「遥か昔、大海原の彼方・二ライカナイから南の島のある浜辺に神が降り立った。
神の名はアマミキヨといい、グスクを構え、子供をつくり、稲を植え、
そして人々の世を創った。 いつしか人々から祖霊神と呼ばれるようになり、
御嶽に祀られ、国家安泰や五穀豊穣の祈りの対象となったとあります。
このような言い伝えと共に、沖縄には古くから祖先を敬い、
自然の恵みに感謝し祀ってきた歴史・文化があります。

「東御廻り(あがりうまーい)」は、そんな琉球の精神文化にふれる旅で
観光客にも人気らしく、64年もこの地で生活していて、
今更ながら無知な事に恥じいりながらも、友人の知識豊かな解説に
興味は深まります。
友人のまさえさん、みつえさんと共に私の運転で出発、
まさえさんの案内で首里から与那原、佐敷、知念まで車の中で
レクチャー受けながらのドライブ

最初に訪れたのが首里の園比屋武御嶽(スヌヒヤンウタキ)

国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であり、
また聞得大君が就任する時にまず最初に拝礼した、国家の聖地。

そこから与那原へ、御殿山(ウドゥンヤマ)と親川(エーガー)
何と、週に一度は仕事で通うお得意様の近所ではないか・・・?

御殿山に舞い降りた天女が出産した時に産井を使ったそうな・・・
親川は与那原の大綱引きもここから始まりここでおわります。
綱引きの際に使われるカナチはひび割れ防止の為、ここの
親川の水の中に保管されているそうです。


場天御嶽(バテンウタキ)
統一した尚巴志の祖父 佐銘川大主(サメカワウフヌシ)の住居跡らしく
此処はイビの森といって石段を上がったところに、イビ御嶽・サミカワ御嶽・御天竺神・


尚巴志の居城跡 佐敷城(サシキグスク)へ
国道331号線沿いに鳥居があり佐敷小学校の脇を上がっていく



広々とした公園で大きな樹木で涼しい日陰が心地よい休憩するにはもってこいの
場所です。石段を上がった所に拝殿があり、「つきしろ」は尚巴志の父、尚恩紹が
住んだ苗代の屋敷にあった雲石の名称で、昭和13年に子孫がこれを守護神として
宮を造ったという事です。佐銘川大主・尚恩紹・尚志王・尚恩立王・尚金福・尚泰久王・
尚徳王の8柱が合祀されている


佐敷城から眼下にシュガーホールがみえました。佐敷城から下りてくる途中で
みつけた石の滑り台、「小学校時代の昔ながらの滑り台だ!」とやけにもりあが
りました。ひんぷんのある民家やアカバナの垣根のある家などノスタルジックです。


南城市知念の知名崎海岸にはテダ御嶽が海岸沿いを歩いているとパワー感じます。
奥の行き止まりに碑があります。太陽神(ティーダ)がここに降臨したと伝えられていて
ノロが祈願した真東に久高島がみえます。この辺りは岩山だったらしく、ここの石が
国会議事堂建設につかわれたらしいです。「へぇ~」


知念城(チネングスク) 自然石を摘んだ古城(クーグスク)とアーチ門を備えた
新城(ミィーグスク)でできていて、門のアーチが美しいという事でしたが、その門
には補強材が入っていました。石の積み方にも整然とした新城は(相方積み)
石ころを積んだような「野面積み」があり「へぇ~ア~ソゥ~」勉強になります。


車は百名ビーチへ  ここにはヤハラズカがあり満潮になると見えないからと・・・・
みえました。干潮時にしか見る事ができないヤハラズカ  アマミキヨがニライカナイ
から渡来して久高島に降り立ち次に本島のこの岩に降り立った最初の地
アマミキヨが仮住まいした地 浜川御嶽(ハマカワウタキ)があり
受水(ウキンジユ)走水(ハインジュ)があり稲作発祥の地とされている


一番肝心な世界文化遺産 斎場御嶽(せーふぁうたき)と玉城城跡
(たまぐすくじょうせき)は次回に行こうと約束、温故知新 
これを機会に琉球の歴史読み説いてみよう。もっと楽しい琉球ロマン
のスケッチの旅ができるでしよう、又遊びの楽しみができました。


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